白熊効果

何が青嵐にクリスマスプレゼントを用意する話

それは、またの呼称を「皮肉過程理論」と云う。 正体不明の忍、「サンタクロース」を討伐せよ。 そのお達しが掲示板に貼り出されると、|比良坂《俺たち》は師走を実感する。 それは、しかし未だ誰も達成したこともなければ、誰一人として達成しようなどとも思っていない、存在しない|忍務《シナリオ》だ。比良坂機関というユニークさの欠片もない人種の寄り集まる場において、珍しく許されている血の通った習慣――もとい、冬期休暇を取得するための《《建前》》。それがこの毎年恒例の「サンタクロース討伐の命」だった。 心を亡くすで忙しいと読ませるなら、命を亡くすほどであればどんな漢字になるだろうか。 毎年、内乱だの外患だのと日本海の荒波がビートを刻んで押し寄せてくるような様相を呈すこの年末のタイミングに、脇目も振らず休みを取ろうとする、心の緩んだ――否、覚悟の極まった|連中《シノビ》がどこの|詰め所《オフィス》にも一定数いる。そういう奴らのために設けられたのがこのサンタクロース討伐の命だ。「忍務の遂行」を大義名分として、日々国家に身を窶す|社畜《スタッフ》をこの日ばかりは|休暇《やす》ませてやろうという気概ある|仕組み《システム》。そんなものがこの|比良坂機関《糞の掃き溜め》にも存在しているとは泪が出るような話だ。 しかし悲しいかな、大義名分って奴にも実体の伴っていることを求められるのがこの日本社会だ。即ち、この冬季休暇申請者は、大義名分に実体を与えるための架空の「作戦実施書」――どういう準備と心がけでこの忍務を実行するかをダラダラ書き連ねた書類の束――および、事後の「作戦報告書」――何ができた、を書き連ねて上司の|査定《機嫌》を引き出すための|恋文《ラブレター》、無論『できなかった』は書けない――を作成、提出し、承認の判子を貰う必要がある。 こうして家やら女やらの|無視できない《回避判定不可》都合と、その前後に襲い来る|八寒地獄《七面倒》とを天秤にかけ、いい年こいたオヤジ忍どもが右往左往しながら頭に|白髪《メッシュ》を入れるシーズン――それが【かつての】俺にとってのクリスマスというものだった。 では、今年の俺はと云えば。ピン穴が空きまくってハチの巣みたいになっているボロい掲示板に貼られた|A4用紙《討伐指示書》の一枚を、その白髪忍軍に混じって腕組んで眺めている。 理由は単純だ。俺にも愛する女が生じ、|忍務《しごと》などしている場合ではなくなった。それだけ。 俺は自分を、公私を割り切ることの出来る|人間《シノビ》だと思っていた。だがそれは大きな間違いだったらしい。 最近の俺は、何があっても、何がなくとも、常時「考えないようにすればするほど藍のことを考えてしまう」状態にあった。ただそれだけに成っていた。仕事への影響などは甚大で、仔細は左記の通りである。 先日の話だ。|この前《風は煙り》の一件で|比良坂《ウチ》から逃げ延びた強硬派残党の追跡に下忍二名を付けるとした稟議書に、|平時《いつも》の俺であれば「おいおい喧嘩慣れした旧強硬派の抜け忍相手に下忍二人では命をドブに捨てるようなもんだ」と否決の判を押していたところを「あの女に送るクリスマスプレゼントには一体何が相応しいか」などと考えていたために、脳直で朱肉ビタビタの決裁印を叩いていた次第だ。 結果、想定通りに二枚のボロ雑巾が出来上がり、その尻拭いに俺が直接出るハメになった。潔い男を殺すのはもうやりたくなかったが、仕方あるまいと鼻をつまみながら何とかゴミ掃除を終え、閉店間際のスーパーに駆け込んだ。 その翌日。比良坂内部に俺が勝手に張り巡らせた|内通者《ゴキブリ》ホイホイに見事引っかかった|御斎《仇敵》のガキ――あそこでは卒業試験として実地潜入の類の忍務が課されると聞く、ウチも舐められたもんだ――相手に、狭い部屋で膝突き合わせて女に送るプレゼントは何がいいかの|相談《拷問》をしていた。 若い奴の意見なら参考になると踏んでのことだが、爪に楊枝を二十本ほど刺したところで絶叫し舌を噛み切ろうとするなど、まともな相談にならない。仕方なく猿轡を噛ませて|瞳《め》で会話を続けるも、その数分後には失禁して|意識不明《狸寝入り》をかまされたため、已む無く時限式の起爆符をしこたま腹に突っ込んで御斎に|返送《かえ》した。 ある程度の|応急手当《ファーストエイド》と|二級忍災相当《記憶喪失級》の記憶操作を施したため、今頃は級友を巻き込んでの花火パーティーとなっていれば善いのだが、肝心のプレゼントの内容を詰めるには至らず、ひとり不味いコーヒーを啜った。 その翌日の翌日。個人的な|お礼参り《報復》の目的で斜歯忍軍の研究所――インディゴブルーの|調整《洗脳》に直接関わっていたとする施設、表向きは斜歯のフロント企業の玩具部門の工場――に挨拶に伺った折、実際に調整に関わったと云う人形遣いの男と相対することになった。 俺は猛毒十万石分を詰めた|菓子折り《饅頭》を丁重に差し出し、プレゼントの案を募ったが、見るからに根暗モヤシのそいつはコミュニケーション能力が全く駄目で、早々に見切りをつけ半殺しにした。命乞いの最中、|森の精宿る土地のネズミ《シルバニアファミリー》なども提示されたが、実用性がないのと面白みに欠けるのに加え、あの手の市販品は無限に通販で買い込まれる恐れがあるため、結果|不採用《全殺し》に。 ただ、人形という発想は悪くなく、そこから俺は連想を繋げた。実用性のあるもの、市販品でないもの、藍が真に欲するもの――そうして合点する。そうか、眠りに関する? |閃き《イメージ》を得て顔を上げた時には、研究所は丸ごと緑色した死体だらけになっていた。無意識下で手当たり次第に|饅頭《こいつ》を口に詰めて回っていたらしい。余程旨いのかと試しに一個食ってみたところ、まあまあ旨くはあったが、死んでしまうほどではないように思った。 そしてそのまた翌日。俺は斜歯の|内通者《スパイ》に直電し「霊糸を縫い込むことが出来るミシン」はないか|聴取《ヒアリング》した。暗号術を介さずの平文での通話に、酷く狼狽した声で「そんなものはない」と突き返されるも、何とか粘って「霊力をモノに打ち込めるような機構はないか」と詰めたところ、忍治療用の注射針ならどうかとなり、急ぎ品番を送らせた。 相当する注射器具なら麝香会に転がっているだろう――比良坂も優秀な忍具は結局斜歯頼みだ――とあたりをつけ、ナース共の怪訝な眼差しを浴びながら該当の品を現地調達。苦無を溶かした鉄で補強した注射針を業務用ミシンに何とか接合し、あとは採血の要領で腕の血管に|管《くだ》でもつないで針に霊糸を通せるようにすれば特製ミシンの完成だ。増血の毒を飲んでおけば失血死の心配もない。 翌日。俺の脳裏にはプレゼントの|輪郭《アウトライン》が完璧に出来上がっていた。 が、その輪郭を成立させるに足る素材、それこそが問題だった。霊糸の縫合に耐え得る布地の元となる「繊維」と、霊力を保持して離さない「綿」。どちらも化学繊維では対応が難しそうだ、となると天然繊維か? ――そう思った時には既に、俺の手は|隠忍《おに》の内通者の電話番号を打っていた。 対応しそうな獣の毛に心当たりはないかと問うたところ、【上忍熊】なる、長命を経て忍力と人語を解したオスの忍獣が北極圏に居る――隠忍の間では有名らしい――とのことで、アポなしで半日ほど|高速機動《マラソン》し現地へ。 詳細は割愛するが、本人? 本熊? は話の分かる体長五メートル超の白い大熊で、要件を話すと死合一本で快く体毛の多くを【戦果】として分け与えてくれた。生命点が一点残るか残らないかほどの死闘ではあったのだが、戦闘後に気前よく肩の肉の一部を譲ってくれ、それを食すとみるみるうちに全回復し、また半日をかけて東京に戻った。今思えば惜しいことをした。あの名状しがたい独特な食感と味わい、一部持ち帰って藍にも食わせてやるんだった。 斯くして機材と素材が集まれば、後はオフィスの自席――それなりの|椅子《ポスト》を貰っているので個室だ、ただしガラス張りで外から丸見え――でガタガタと機織り機やらミシンやらを揺らす日々。部屋では毛を煮てもいたのでオフィス中が獣臭かっただろうかどうでもいい。俺の頭にはもう、これを受け取った瞬間の藍の喜ぶ顔しかない。そしてそれは考えないようにすればするほど明瞭に視えて仕方がなく、俺はニヤけた口もそのままに、三日三晩不眠不休でミシンを動かした。 そうして訪れた工程の最終段階。ある猛獣の――強い|忍《俺》に相応しい――意匠を刺繡することを心に決めていた俺は、苦無の刃も立たない強固な布地に、持ち得る|技術《手練》の粋を尽くし、一針一針霊糸を通した。 「――出来た」 血液などもう何リットル抜いたか知れたことではない。ともすれば生命維持限界の|最後の一滴《ゴールデンドロップ》まで余さず縫いつけたその獣の|貌《かんばせ》は、なかなかどうして、俺譲りの|獰猛《キュート》さをいっぱいに湛えていた。 ブラインドから射し込む白い光に目をすがめる。時計を見ると朝五時を回っていた。仕上がった|物《ブツ》を机に置き、ゆっくりと立ち上がり、部屋の扉を開ける。がらんどうのオフィス、その片隅で居場所なげに鎮座する最新のコーヒーメーカーに向かって悠々と歩みを進め、電源を入れる。 埃をかぶった|原液《ポーション》の|容器《カートリッジ》を一個手に取り、挿入口に差し込み、ボタンを幾つか押す。鳴り出すやかましい駆動音に耳を傾け、タンブラーにエスプレッソがとぽとぽと注がれる様をぼうっと眺める。信じられないほどの牛歩で進む抽出にも不思議と苛立ちはない。やがて完成を知らせる甲高い音が鳴り響けば、湯気の立つタンブラーを力の抜けた手で握り締め、裏口から非常階段の踊り場に出る。 |n《エヌ》徹明けの死に体で見上げた早朝の空は、呆れるほどにしんと澄み渡り。 錆びた柵にもたれ、藍に染まりゆく白に目を細め、不味いコーヒーを旨そうに啜る俺の顔面を、|暁光《僥倖》が|明《あか》く焼いていた。 「匂い立つな――あ」 そうして思い出された肝心の|残タスク《匂いつけ》に、くっくっと愉快な笑みを一つして、俺は再びオフィスの棺桶へと舞い戻っていった。 * |クリスマスイブ《ド平日》の午前八時のスーパーに、物で山盛りになったカゴをレジ台にどかっと乗せるくたびれた男が一人。曰く「支払いはカードで」。 鶏もも肉とワインをしこたま詰め込んだビニール袋を両手に持ち、欠伸をこきながら師走の人の海を遡上することの心好さなど言うまでもなく。 「ハッ、明日から起きようにも起きられない日々が始まるぜ? 楽しみだなァ、おい、藍」 囁くように独り言ち、|ポケット《仕込み》に隠した布の球の感触を時折確かめるようにしながら、温い|住処《ねどこ》へと向かってひた歩く。 その足取りの軽さは、まるで|夢《うそ》のようだった。 ああそうだ、「白熊効果」だったか。 ちょうど今日という日のために付けられたような名をしたその現象を前に、ならばと「考えない」ことをやめ唯「考える」ことにした俺の脳は、この空に後れを取らないほど青く、藍に染まっていた。 サンタ討伐の報告書を書くのをすっかり忘れていたことなどは、思い出さないでおく。 二〇二四年十二月九日 かいり
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