正夢

互いを恋人と認め合い、婚約した後の二人

「藍! お前しかいない! どこからどう見てもかわいすぎる、他の女は全員殺す。邪魔だから男もだ。結婚したい、結婚しよう。いや、してくれ、頼む――」  はぁ〜♡ そうですか? そんなにですか? 指輪を百つも用意されて――そこまで藍のことを?  でも皆殺しは困りますね、ますます|藍の仕事《傭兵忍務》の宛てがなくなっちゃいますし――。だいたい、|イズレ様の流儀《国益を守る》に反するでしょ? 「それでもだ。東京は――この国は人が多すぎる。藍とだけ居たいのに疲れる。俺は少し|守護《シュゴ》りすぎた。顔がいい上に仕事が出来すぎてバランスが取れない。この際だから忍災の一つや二つ起こして、比良坂ブッ壊してから結婚するぞ!」  えぇ〜っ!?[#「!?」は縦中横] 待って、待っていずれさま、たしかに人は多いですけど、藍は疲れておりません、だって大勢の中に二人でいるの楽しくないですか、違いますかっ?  それに、それに――藍は、 「……すっとろい奴だな。さっさと決めないと結婚取りやめだぞ。指輪も無しだ」  やっ、やだぁっ……! 指輪、ゆびわっ、藍の家宝……っ! そ、それだけは、後生ですから……っ、はいっ、分かりました、破壊行動ですねっ? お任せください!?[#「!?」は縦中横]  …………すみません、では日本国の皆さま、藍はイズレ様のお言い付けにより、日本征服計画を可及的速やかに実行しま―― 「――おい藍。……藍?」  気がつくと、怪訝そうに眉を顰めたイズレ様のお顔が目の前にあった。なんと、藍はデート中に立ったまま寝ていたようだ。  目を覚ましてなお、藍はやたらに鮮明だった夢の中に半ば意識を置いてきていた。日本征服計画の第一歩としてか、片手には手裏剣など握り込んでおり、 「おのれ|国益の象徴ぉ《日の丸》ッ――! でゃっ……! あっ、はぁっ……はっ? んぇっ……いっ、いず、いずれさまっ……?」  あろうことか、その手裏剣はイズレ様めがけて放たれようとしていて――とっさに引っ込めようとするも時すでに遅し。藍は自らの強肩を恨みかけたが、果たして。 「日の丸だと? |比良坂《ウチ》の連中でもいたか? ――っと」  藍が|弾速《プロット5》で投げた手裏剣を、イズレ様は人差し指と中指の間でひょいと挟み受けたかと思うと、|忍災阻止のため《一般人の目に触れないよう》、少量の血液で即座に|光学迷彩《透明化》させて。  どう考えても人並み外れて傑出し、出鱈目な構造をした|その人体《スパダリ上忍》が、藍の初めての恋人だった。  しかし、夢の中と同一の登場キャラクターが眼前にいることで、藍の頭は夢うつつに混迷していた。|比良坂《日本国》をブッ壊さねば、という思い込みが藍の中からすぐに霧散することはなく、藍の小さな口は夢の続きをしゃべり続ける。 「日本国っ、から、|人混み《戦場「雑踏」》をっ、藍は、藍が、滅し、滅し奉らね、ば、ぁっ…………あっ?」  すると、気が動転したままの藍の体がふわりと浮遊し――どう考えても人並み外れて大きく成長したこの|肉体《藍》を、イズレ様がお姫さま抱っこスタイルにて掌握していた。 「真っ青じゃねェか。寝不足か? ……脈は速いが正常の範囲か。だが確かに|人出が多い《戦場「雑踏」》、|迷走反射神経《人酔い》でもしたんだったら今日は――」  イズレ様は腕の中におさまった藍の手首で脈を取り、ぴとりと額を当てて同時に体温の確認も行いながら、藍に向けてというよりは、御自らに対しぶつぶつと呟かれた。  藍を抱きかかえたまま下ろす気のなさそうなそのお顔は、今にもこの場を立ち去りそうな雰囲気を纏っており、藍の体調が少しでも芳しくないなら今日はデートを切り上げるのも已むなし、といった風に見える。 「ハッ……! す、すみませぇんっ、違う、そういうことではっ、どうかお待ちを、ねっ、ねぇ、まってぇ、やだやだっ――」  今日は五反田で話題の台湾式朝食をとり、品川の水族館に行き、表参道でショッピングを楽しみ、原宿でクレープを食べ、新宿で映画鑑賞し、最後に藍の大好きなシロクマさんがテーマのカフェへ赴く予定だった。そして時間があれば、イズレ様の勤務先近くの丸の内エリアを散策する――そのたった四つ目の予定である、クレープのための長蛇の列に並んでいるさ中、藍はうたた寝してしまったらしい。  立ちながら眠るなどという、忍らしく妙に器用な自分の体にポカスカとしたい気持ちになりながら、藍はイズレ様のご様子に必死に抗おうとする。すると、藍のその頑固さを見て、イズレ様はなお一層の頑固さで首を振り。 「お前の無尽蔵な体力を過信して連れ回し過ぎた。せっかくめかし込んだところ悪いがプランBだ、お前の好きなドライブで気分転換とするぞ。車中で少し休め」  寝る、イコール、退屈している、もしくは疲れている、あるいは体調が優れないのを隠そうとしている。――藍の態度は、どうやらそう認識されたらしい。  完全無欠のデートプランに綻びが生じたことに、イズレ様は険しい表情を禁じ得ないようだった。即座に、他に藍が行きたがっていた候補地の数々を網膜に再現、再度のプラン構築とそこに行き着くまでの最短のルート選定をなさって。 「電車で来ちまったから家の車じゃなくていいな? 早急に|社用車《センチュリー》を用意させる」  ドライブを宣言されたイズレ様は、藍をがしりと抱き直し、迷いなく大股に歩み始めた。ナノマシン伝いに、部下の方に|職権濫用命令《背景「縦割り」を発動》をされたようだ。この分では、数分で車の用意がされるだろう。 「いずれさまっ! 違うんです、藍のお話聞いてっ、藍は元気です、すこぶる元気なんですぅ――!」  オイオイ……とか、やだ〜っとか、失笑と羨望の入り混じったざわめきが聞こえ、藍は辺りを見渡し、赤面する。慌ててじたじたするがプライベートの藍はあまりにも無力、その腕から逃れられるわけもなく。  五月晴れの土曜日、午後二時半。原宿のど真ん中で、イズレ様に抱き上げられた藍は、完全に衆目の的となっていた。  この図体を、まるでか弱いお姫さまか何かのように扱われる――今のこの状況の方が、藍にとってはよほど忍災だった。 *  一時間後、藍たちはお台場にいた。  レインボーブリッジを臨む公園の展望デッキで、藍はうずくまっている。 「ハァ…………藍ィ。悪かった、機嫌直せ」 「やだ、やですっ……! 藍は待ってって言ったのに、映画楽しみにしてたのに、カフェデートしたかったのに、シロクマさんキーホルダーは今日までだったのに」  くすん、くすん、と意気消沈して泣き伏す藍を相手に、イズレ様は珍しくばつが悪そうにため息交じりのお声を漏らされた。 「あー……そうだな。キーホルダーなら俺が用意してやるから。作るもよし、手配させるもよし。シロクマだろ? 明日の朝、お前が目ェ覚ます頃にはその手の中にあるだろうよ」  うずくまる藍に目線を合わせるようにしゃがみ込むと、イズレ様はよしよし、と聞き分けのない子どもにするように藍を撫でた。  確かに、イズレ様であれば、キーホルダーの複製など容易くお出来になるだろう。また、運営会社から現物の取り寄せ手配をするなんてことも、お手の物だろう。しかし、藍は。 「っ……映画見て、カフェでシロクマさんセット頼んでからもらうのに意味があるの! キーホルダーはセットを2人分頼まないとついてこないんですぅっ! うっ、ふぐっ、ぅ……期間限定品……藍は、高額転売には手を出さないから、復刻しない限りは絶対手に入らないんですぅぅ゙[#「ぅ゙」は縦中横]……!」  藍をあやすイズレ様から顔を背け、めそめそと泣きながら、頑なに言い募る。 「そうは言うが、あの時のお前の顔色を俺には看過できなかった。運転中に休ませるとした判断に間違いはない――が、ここまで拗ねるとはなァ」  三年ぶりに共同生活を再開してからのイズレ様は、藍に対して随分と過保護になられた。藍を例の異界から連れ出してからは、藍の些細な機微も見逃すまいとお思いなのか、輪をかけて心配性になられたと思う。  藍のうじうじにも負けじと、変わらずくっきりとした語調のイズレ様は、言葉の途中からなぜか嬉しげに頬を緩ませた。  余裕たっぷりのそのニヤケ面を拝し、藍は太刀打ちのできなさに無性に腹が立ってくる。 「なぁっ!?[#「!?」は縦中横] 拗ねてなどおりませんっ! いずれさまがせっかく決めたデートプランを変えるから、藍は怒ってるの!」 「ふぅーん? そうかそうか、そうだよなあ? なァ〜……藍ちゃん、藍ィ。フフ……フ、悪い悪い、俺が悪かった。かわいい恋人が心配でプラン全部ふっ飛んじまった。でも気になるなァ、どうしてあんな顔して俺のこと見たんだ?」  少しもこたえてない様子のイズレ様が、人差し指で藍の頬をつんつんと突く。  あんな顔、と言及され、途端に藍は焦る。例の夢を《《また》》見たことを悟られたくない――。 「……。……っ、早起きして少し眠かっただけ! 藍は強いし大人だし、上忍ですし、そんな、嫌な夢見たくらいで不安になって顔が真っ青なんてことは――…………ぁ、」 「ん? 嫌な夢見て不安になって顔が真っ青? あァ〜……」  イズレ様がやっぱりな、とでも言いたげな顔でますますニヤニヤし、藍はあたふたと頭上に汗マークを飛ばした。 「わっ……はひゅっ、んぐ、ぅっ、わぁぁ〜っ……!![#「!!」は縦中横] 今のなし! 今のなしですっ……!」 「ハハッ、また俺の夢か? 察してはいたが、改めて言われると照れるぜ。結婚迫ったり指輪たくさんくれたり、仕事放り出したりする俺なんだろ? 少し寝ると最近いつもそれなんだよな?」 「ふにゃっ、ぁっ、あっ、あっ、あっ、〜〜〜……っ!」  言い当てられ、藍の顔は見る間に赤く茹だっていく。  そう、そうなのだ――恋人と認め合い、指輪を贈っていただいてからというもの、藍は理想のイズレ様を夢見たり、はたまた全くらしくないイズレ様を夢見るようになった。  その夢を見るたび、藍はなんだか不安になって、隣で眠るイズレ様を起こしてしまったり、ひどい時には早起きされたイズレ様の元に泣きながら歩いていったりするから、イズレ様にとってもこの内容は既知の事実だった。 「俺のことが好きで好きでたまらなくて、幸せヤバすぎて夢にまで見ちゃうんだろ? さてはさっきまでのジメジメも、夢見が悪くてぐずってたのか? 怒り慣れてないのバレバレの藍ちゃん、かわいかったなァ〜?」 「ちっ……がう! シロクマさんキーホルダーのことはっ、本当ぉにっ……! ふぬ〜〜〜っ……!![#「!!」は縦中横]」  おっしゃる通り、夢見が悪いせいで虫の居所が悪かった藍は、顔を上げてイズレ様を弱々しく睨んだ。  するとイズレ様は、そんな藍の両頬をむにっと片手で挟み込み、軽やかに笑い声を立て、目を細めて藍の表情をじっくりと検められて。 「拗ねるの大歓迎だぜ。ハハッ。恋人マジで最高だな、お前の色んな顔が蒐集できる」  この頃の藍は、いつもこんな風にして素直にさせられてしまう。これまでは怒りや悲しみの発露で覆い隠してきた不安や疑念――藍の本当の気持ちを言いたくさせられてしまう。  だから、導かれる快さに身を委ね、藍はほろりと口を開いた。 「う…………結婚……取りやめないですか?」 「俺が指輪嵌めるのどれだけ楽しみにしていると思ってる? 夢の俺が何言おうと、お前は俺と結婚だ。足りないなら何百と指輪をやっても構わないぜ」 「これからも国益……守護りますか?」 「お前といる国だからな。寂しがらせるだろうが、変わらず仕事は続ける」  どうやら藍は、夢の中のイズレ様に対し、これが一番不安だったらしい。断固とした物言いを頂戴し、思わず破顔してしまう。 「そっ、そうですよねぇっ? はぁっ……。よかった、よかったぁ……っ! だって、夢の中のいずれさま、人混みがひどいから日本をブッ壊すとかおっしゃって、藍は、デート楽しいですのに、せっかく結婚できますのにと思って、なんか……なんか、」 「うん。『なんか』? 何だ、藍」  本心を吐露しようとする藍を、イズレ様が可笑しげに、しかし優しく見つめていた。  その瞳を見て、藍は再び導かれるように小さな口を動かす。 「なんか…………藍は、せっかく、日本……ちゃんと、好きになってきたのにと思って……」 「へぇ? ほう。いいのか、今朝も語ってたじゃねェか、|陰謀論《世界の真実》をよ。お前の主張によれば、新宿駅が年々|ダンジョンじみ《地下迷宮化し》ていくのは雑踏での戦闘を得意とする|比良坂《ウチ》の仕業で、|連合の忍《お前たち》を一網打尽にするための計画なんじゃなかったか?」  片眉を上げ、面白そうにイズレ様がお尋ねになる。  藍は、一旦は神妙な顔してこくりと頷き、その|問いかけ《世界の真実》を首肯する。 「それは……そうです……そうなんだけど……それはシノビッターで見たから絶対そう、だから雑踏はイヤです、いずれさまを忙しくする|お仕事《比良坂》も嫌い、でも、でも……」  人差し指同士をつん、つん、と突き合わせながら、藍は媚びるように上目遣いし、それから。 「日本、は、桜が綺麗……ですし、サモエドカフェに行けますし、温泉もありますし……いずれさまと初めて会った場所、ですし……プロポーズ、していただいた国だし、|ここ《日本》で、結婚したい…………藍は、早く婚姻届書きたい……奥さま楽しみなの……」  藍は人差し指つんつんを、途中から左手薬指の|立て爪指輪《エンゲージリング》さわさわに切り替え、紅潮させた頬で本音を語る。  ようやく言えた――そう思った瞬間、イズレ様のニヤケお顔がなぜか硬直した。 「……お…………」 「恥ずかしい……言っちゃった、言っちゃいましたっ。んんっ……いずれさま? ……いずれさまぁ?」  見るとイズレ様は、怒った時みたく眉を寄せ、普段は饒舌な口を歪に薄開けていた。藍は首を捻り、お声がけするが、すぐには返答は返ってこず。  たっぷり一分間の沈黙の後、大きな手のひらで口を覆ったイズレ様が、くぐもった声でこうおっしゃられた。 「藍、お前………………《《ヤバい》》な」 「はぁ――っ……?」  訳が分からず、藍の口からは間抜けな音が漏れ出る。 「……藍。お前はどこからどう見ても可愛すぎる。言うことまで可愛くなってこれ以上どうする? クソッ、恋人余裕でスカしてたが、今後|人混み《雑踏》にお前を連れ出したくなくなりそうだ――」  突然、イズレ様が夢と同じようなことを言い出された。  二人してしゃがみ込んだのをそのままに、イズレ様の腕が藍をひしと抱き寄せ、藍はますます混乱する。 「ふぇっ……今の藍の、どこがですっ? 一体どうなさったの? いずれさま、お体熱いです、脈拍も凄まじいことになってます……! 大丈夫ですか? お辛くないですかっ?」  背中越しにぺたぺたと触れると、イズレ様の尋常ならざる体温上昇が伝わってくる。忍び呼吸が得意で、脈拍の乱れることなど滅多にないお方なのに、今のイズレ様は|かなり愉快なビート《100bpm以上》を刻んでいた。 「辛いより楽しいだが、大丈夫ではないな。俺は過去を省みない主義だが、さっさと恋人宣言していればもっと早くにあらゆるお前を蒐集できていたかと思うと頭がクラクラしてきた。否、それでも後悔しているわけじゃない――」  イズレ様が、藍の耳元でフフ、と自嘲めいた笑みをこぼされた。 「い、いずれさまっ、ギュー強いです、強すぎます、」 「…………夢の中の俺の気持ちが分かったぜ」  いつも壊れものを扱うような所作で藍に触れるその人は、我慢ならなくなったように強い力で藍を抱きしめ続ける。けほっ、と藍が咽ぶのもお構いなしに。 「どうやらこの俺も、お国破壊が造作も無ェと思うくらいにはお前を独占したいらしい。藍は俺のモノだ、他の男共になんざいくらでも見せびらかしてやると思っていたが……ああ、確かに東京は――この国は|人《邪魔》が多すぎる」  ひょえっ、とか、あのっ、とか、藍は言ったと思う。でも、イズレ様があまりにも確信に満ちた動作でギリギリと藍を締めてくるものだから、藍の声は小さく掠れて届かなかっただろう。  藍は思い出す。――|本来のこの方《元・信念「凶」の真性サディスト》は、女相手にも手加減などしないのだということを。 「しばらくは雑踏にお前を連れ出す気になれそうもないな。映画館もシロクマカフェもキーホルダーも家の中でやる。完璧に再現してやるから、それで我慢しろ。チッ…………そんな可愛い顔したお前を有象無象に見せてたまるか。おい藍、行くぞ――藍、藍?」  上忍が心のままに、力一杯ギューするとどうなると思う? 答えはこうです。 「ああ――まずいな、|あまりの気づきに《独占欲発動で》出力を調整できなかった。恋人になるとこんなこともあるのか、覚えておく」  |十八年ぶり《里の頃以来》に締め技で落とされた藍は、昼間のようにイズレ様に抱きかかえられ、展望デッキを後にする。否、させられた。  朦朧とする意識の中、藍は体中に猛烈なチューを受けていたが、それが夢か現かは終ぞ分からず。  翌朝、外出無用とばかりに全身につけられたキスマークを見て、藍が真っ赤な顔して拗ねるのは、また別の話。 二〇二五年三月二十六日 ことね
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